僕とオタと彼女③

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315 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/06(月) 00:14
バスルームのドアが開いて姫様がでてきたとき、
ぼくは寝そべってテレビを見ていた。
深夜枠の馬鹿なお笑い。ところが、その笑いは巧妙に練られており
つくり手が視聴者を馬鹿にするような構成になっていた。
見ているうちに引きこまれ、姫様がベッドを揺らして近づいてくるまで
ぼくは口をぽかんと開けたまま、間抜け面でブラウン管を凝視してたんだと思う。
風呂上りのいい匂いにつられて、ベッドの揺れる先に目をやったぼくは
おや?といぶかった。
まだどこかへ出かける気でいるのかな姫様は。
丈の短いバスローブの下にはもう出かける下準備がととのったのか
細い脚には白いストッキングまでつけている。
「お出かけですかお姫様」
「なぜ?どこにも行かないよ?」
姫様はそう言ってサイドテーブルの上にあるメインライトのボリュームをつまんだ。
まるで映画でもはじまるみたいに、部屋から光が失われてゆく。
姫様はぼくの視線の先につま先で立ち、悪戯っぽく微笑んでから
バスローブを腰の位置でしぼった、タオル地のベルトをゆっくり抜きとった。
「気に入ってもらえたかな?」
ぼくは言葉がみつからなかった。無言。
この手の写真のお世話になったことは何度もある。
だけど現実に、まのあたりにしたことは一度もない。
たぶん最初で最後になるんじゃないかなとも考えてみたりした。
ガータベルト。ガーターベルトだっけ?
ああ、そんなことはどうでもいいや。
姫様は全体が同じデザインでまとまった、なんていうかかなりセクシーな下着を身に着けていた。
華奢なチェストを覆うベアトップのビスチェから垂れる4本の紐の先に
4匹の金属でできた蝶がいて、そいつが太もものまわりにとまっている。
下着全体にも青い蝶が、刺繍と絡んでプリントされてた。
凝視していると下着は下着でなくなにか別のもの、彼女の皮膚のようにも見えた。
眺めてる時間が長くなればなるほど、姫様に触れなくなるような気がした。
綺麗すぎるんだよ姫様。
美術館にやってきた巨匠絵画。馬鹿馬鹿しくも近寄ることを禁止された来場客。
君がぼくを客と割り切ってくれてたら、どんなにか楽だったろうな。
君はぼくの気持ちまで満たそうとした。
それはたぶん、君的に言えば、嬉しかったから。なんだろうけど。
刺激も、あるピークを過ぎると人の脳はそれをカットするために
βエンドルフィンを放出すると何かの本で読んだ。
安心して、落ちつきたい。
ぼくはまさにそんな気分だった。

 

 

316 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/06(月) 00:19
持ち歩いてたCDプレイヤーからCDを取りだしてPCで再生した。
音はひどいけど、ないよりぜんぜんいい。
たしかSmashing Pumpkins。
ぼくが好きに選んだ曲だけを集めて焼いたCDで激しいのはカットしてある。
姫様といるときに聴きたいと思ってたけど、これまで機会がなかった。
ベッドにふたりで横になって、それからとりとめのない話をした。
姫様は自分の大胆な下着姿に、ぼくが引いたと誤解した。
きっと喜んでもらえると信じてたみたいだったし、そう口にもした。
もちろん喜んださ。でも説明するのがひと苦労だった。
姫様は男の生理を完璧には知らない。
いや、知りうる機会がなかったんだろうな。
だからお願いだから着替えないで欲しいと、ぼくは懇願した。
ちょっとは寒いかもしれないけど、シーツにくるまってればいいし。
コーヒーでも飲もうか?レモネードのほうがいいかな?さもなきゃ暖かいスープ。
見ていたいんだよ姫様。
ぼくのそばにいてほしい。
何度も挑戦した結果、この気持ちの説明は無理だと悟った。
ぼくは君を娼婦だとか商売女だとか、そんなふうには思っていない。
その下着は素敵だし、まったくそういうこととは関係がない。
とはいえそれを伝える術がなかった。
「好き」だとか「愛してる」からだとか
そんなお決まりの台詞を持ちだすのは抵抗があったし、しかも微妙に違う。
ただ君が綺麗だと思ったんだよ。
ほんとうに。嘘偽りなく。
ずっと見ていたかったんだよ。

317 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/06(月) 00:24
姫様は子供の頃の話をしてくれた。
ある日突然消えてしまった父親のこと。
母親は父の失踪について、幼かった兄弟には何も説明してくれなかったこと。
それから1年もしないで自殺した母親のこと。
言動がおかしくなり、育児のいっさいを放棄して自室に閉じこもりぎみになったこと。
弟は姫様の後をついてまわり、後追いの年齢をとっくに過ぎてるのに決して離れようとはしなかったこと。
彼女は自分のいた世界が変わり果ててしまったことを
はじめは信じられなかったと言った。
それは永遠に普遍的で、そこにいることはごく当たり前の約束されたことで
しばらく我慢すればまた元通り、何事もない毎日が戻ってくると信じていた。と。
ところが、父親の妹の家族として再編成されたあたりから
子供心にも、こいつはおかしい。
自分と幼い弟は見知らぬ世界に住むことになったのだ。
と、ようやくそのときになって、耐えがたい悲しみに襲われた。
近所の公園が自分と弟のいる場所であり、実際そこで過ごす時間が多かった。
食事は一日一回だけ。夜眠る時間なってようやく暖かい部屋に入れた、と笑いながら言った。
それでも暴力にさらされなかっただけ、姉弟はついていたのだとも言った。
公的施設の門をくぐることもなく、むしろ姉弟はいつもいっしょで、
あの公園のいたるところに弟の思い出があり、たまには親切にしてくれる大人もいて
熱い夏の盛り、アイスキャンディや花火をもらうこともあった。
悪い思い出ばかりでもないんだよ。と。
ぼくは何も言わなかった。
肩を抱き、ただ彼女の唇からもれる言葉に耳をかたむけた。
姫様が公園の隅で弟といっしょになって蝉を追いかけてた夏
ぼくはどこで何をしていたんだろう。
弟とゲームソフトの奪いあいで喧嘩をして、泣きわめく弟にとどめの蹴りをいれたときだろうか。
それとも、弟がぼくの大切なCDに落書きした報復として
弟専用ゲームマシンのソフトウェア接続口に接着剤を流しこんだときだろうか。
ぼくはいたたまれない気分になった。
でも、ぼくは憐れんでいるわけでもなかった。姫様の古い時間は残念ながら過ぎ去った。
悲しいのは、いまここにいる姫様が悲しんでるということ。
ぼくの目には彼女は自暴自棄に陥ってるようにみえた。
自分の未来は不要なもの、弟が消えた夜からこっちを残酷なオマケとしてとらえている。
だけど今にして思えば、そんなぼくの分析こそが甘く幼稚だったわけだけど。

 

 

335 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 05:08
Smashing Pumpkinsを3回ほどリピートしたあたりで、姫様はうとうとしはじめた。
シーツでしっかりくるんであげて、ヒーターを高めの温度に再設定した。
眠っているようで頭はしっかりしていて
それでいて、複雑な質問には答えられない。
彼女は何か話しをしてほしいと言った。
しばらく考えたあとで、ぼくは夢の話を持ち出した。
昨夜みた夢。いや、いつだってのいい。嘘だっていい。
彼女は興味深々で、はやく早くとぼくを急きたてた。

ぼくは病院の待合室にいる。
風邪をこじらせたのかもしれない。
理由ははっきりとしないけど、ぼくはそこにいて、ぼんやりテレビをながめている。
急患ではなかったんだろうね。
ぼくは焦ってはいなかったし、行き交う看護婦もぼくには無関心だった。
ただ順番がまわってくるのをおとなしく座って待っていたんだと思う。
テレビのチャンネルは退屈なワイドショーで
そのうちぼくは、もっと退屈そうな医学雑誌を本棚から引っぱりだした。
ほら、よくあるでしょ。退屈さをまぎらすために、もっと退屈な何かをはじめてしまうことって。
雑誌の最初のページは特集でナノテクノロジーの話だった。
ナノテクっていうのは、驚くほど小さな世界の話。
細菌と同じくらいか、もっとちいさなロボットでもって体の掃除をしたり
場合によっては手術までしちゃうこともある。
でもさ、おかしなことにそこに書いてあるのはそんなことじゃなかった。
微細ロボットをつかって人を大量死させる計画とか
どこかの国がもう実験をはじめてるとか、そんな怖くなるような話だった。
嫌気がさして雑誌を空席に投げ出し、それからぼくはまたテレビに目をやった。
たしかそのときだったと思う。
ワイドショーの画像が一瞬グニャと曲がって、それから緊張したアナウンサーを映し出した。
ほら、よくあるじゃん。報道部からの生中継。まわりで忙しそうに走りまわるスタッフがいてさ。
そしてアナウンサーは、カメラの手前にいる誰かと話をして
視線をカメラに戻さないままソビエト連邦が崩壊したと言い、
ついで旧連邦軍の一部が日本に侵攻を開始したと告げた。
どれほど怖かったか。
テレビはそれきり何も映らなかったし
病院はソビエト軍に制圧、閉鎖されてぼくは外にでることもできなかった。

 


336 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 05:09
戦争になったの?と彼女は聞いた。
「さあ、どうなんだろうね」とぼくは姫様の頭を撫で、「そこでいつも夢は途切れるんだよ」と説明した。
「よく見る夢?」
「頻繁には見ない。でも子供の頃から見てる怖い夢。侵略軍は子供の頃は火星人だった。
いつの間にかぼくから空想力がなくなって旧ソビエトになったけどね。
でもさ、いつもほんとに怖いんだよ。
毎回新しい恐怖があって、それに慣れることはないんだ」
「わたしも怖い夢みるよ」と彼女は言った。
「誰にだって怖い夢はあると思う。気にしないことだよ」
「ヒロは死んじゃう?えっと、その夢の中で」
「死ぬことはないね。途切れるから。ぼくが味わうのは恐怖だけ」
「わたしは死んじゃうの。夢の中で」
「誰かに殺される?追いかけられて?」
「ううん。自殺しちゃうの。ビルからジャンプして」
姫様はあくびをして、すぐに眠りに落ちた。
半ば寝た状態での話だったから、脳の大半は寝てたのかもな。
もうじき夜が明けようとしていた。
5日目の朝。

 

 

337 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 05:12
姫様がセクシーな下着姿で眠りについたあと、ケータイに着信があった。
送り手はオタで、メッセージはPCで確認してほしいとのこと。
早いな。すごい士気の高さだ。
PCを起動してメールを確認すると、数時間前に送付したファイルの解説がもう届いてた。

>ヒロくん。確信とまではいかないけど、今回の中身は当りだ。
>いままで意味のなかったジグソーパズルの断片に、収まるべき位置を指示することができるかもしれない。
>最初にまず確認しておきたいことがある。
>どうにかして、嬢様の本名を調べることができないかな。
>おまえは嫌がるかもしれないけど、彼女のバッグをひっくり返してまず免許証を調べることをすすめる。
>彼女の本名は、佐藤恵子。19歳。国内での運転免許取得済み。
>その若さでアジアのほとんどの国と、ヨーロッパの数ヶ所を旅したことがある。
>広東語を少し話せる。
>それからジュネーブ商業銀行に口座を持ってて預金額は日本円で2800万円。
>さらに詳しい説明は、彼女の免許証の確認のあとで。
>もちろんおまえには、彼女のバッグに触れないという選択肢だってある。
>おれにでも理解できる。そのくらいは。
>ここから先は彼女の本物のプライバシーだ。おまえは立ち入るべきじゃない。
>いづれにしても連絡をくれ。急いで。寝ないで待ってる。

大袈裟なことになっちまったな。
ぼくが知りたかったことはそんなことじゃなかったのに。
彼女のフロッピィの中身が分かればそれでよかったんだ。
こんな大事の予定じゃなかったんだ。
ぼくはオタに返信した。

>もう充分だよ。ありがとうオタ。ここで降りる。

そして、送信ボタンを押したあと、ぼくは彼女のバッグをひっくり返した。
説明し難い衝動に駆られて。
ぼくは確かに彼女のフロッピィを盗み見た。でもそれはおそらくは解明できない難しい何か、で終わる予定だった。
彼女はなにかよくないこと、をやってるようだったし、
あるいはぼくの助力を必要としているのかもしれない、という勝手な思いこみもあった。
しかし、彼女の財布を開いてみること、それは彼女のプライバシーに直接触れる行為だ。
そんなことはしたくなかった。するつもりもなかった。
でも、ぼくはそうした。
何枚かのクレジットカードに紛れて、免許証は見つかった。
見覚えのある端正な顔立ち。
名前を確認すると、佐藤恵子と書かれてあった。
生年月日から彼女の年齢が19歳だとわかった。

>オタ。彼女は、佐藤恵子。間違いない。免許証を確認した。
>ファイルを送信してほしい。説明が聞きたい。

 

 

346 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 22:23
オタは待っていてくれた。
ぼくからの連絡に待機してたかのようなスピードでレスが返ってきた。
1通ごとにアップしてそのまま送ってくれてるんだろう。
紙芝居のように、ファイルがひとつづつ届き、ぼくの指先で開かれる。

>いきなり戸惑うかもしれないけど
>その免許証は偽モノ。つまり偽造。
>嬢様は免許取得後1年以内に免停を喰らってる。
>その後再発行された形跡はない。理由はわからない。
>これを調べるために、やばいことをやった。内容は説明しないけど。
>蛇の道はheavy。その手の情報をすぐに洗ってくれるやつがいるってことだけ。
>金もかかった。請求なんて野暮なことは言わない。
>しかしだ。スニーカをいますぐ梱包しておれに送るくらいのことをしても罰はあたらないじゃないかな。
>ああ、それから彼女の名前だけは、ほんものだ。
>だから確認する必要があった。彼女の免許証の名はつまりパスワードだったってわけだ。
>19歳ってのも嘘。名前以外の情報はその後誰かが更新してるらしい。
>黙ってて悪かった。
>でもさ、知ってたらおまえは間違いなく彼女のバッグを調べたと思うんだ。
>正直そうはしてほしくなかった。最初におまえが「降りる」とレスくれたとき
>心底ほっとしたんだけどな。でもおまえはやはりやった。残念だったよ。

免許証も偽者か。驚いた。
とはいえオタのレスにあった「蛇の道はheavy」の一行を見逃すほど動揺はしてなかった。
その言い回しはいまいちだ。できれば止めたほうがいい。

 

 

347 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 22:25
2通目。

>まずgifファイル。
>この日本人の男の子が手に持ってるウォータガンに注目。
>登録商標が刻印されてるはずの場所に、例の不明な数字。
>見てもらえばわかるけど、前回の3枚よりはかなり程度がいい。
>一見したくらいじゃ、そうとは分からない。
>疑ってはじめてそうだとわかるレベル。プロっぽい。

写真の男の子は日本人だった。
なぜそう断定できたかというと、頭に被った紅白のキャップは
幼稚園、小学校で、ぼくが被ってたそれと同じだったから。
リバーシブルで、運動会のとき白組でも赤組にでもなれる。
男の子のキャップは、サイズが合っていなくて、極端に大きかった。
垂れ下がったひさしが唇以外の顔の部品を隠している。
男の子はレンズを見ようとしたんじゃないかな。
そうするために、顔を上げようとした。でもシャッターのほうが僅かに早く作動したんだ。
君の弟なのかな。この子が。
5歳くらい。ひどく痩せている。
手に持った水鉄砲は大きくてアメリカ製で新品で、男の子がそれを大切にしている様がわかる。
大切なものは両手で抱くようにして持つんだ。
ちょうどこの写真の子のように。
他の誰かに持っていかれないように。

348 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 22:27
3通目

>エクセルファイル。
>嬢様は偽造旅券を使ってる。
>4年前に日本政府から発行された。ように見えるけど、実は1月前に新宿で偽造された。
>あるいは新宿で誰かに手渡された。
>その製作費用と必要な素材のリスト。
>驚くほど高いな。きっとほんものそっくりなんだろうな。効果まで。
>一度見てみたいよ。嬢様のそのパスポート。
>それからその他こまごまと、いろんな偽者の書類。預金とそのリスト。
>余談だけど、嬢様は過去にも何度か偽名でパスポートを作ってる。違う場所で。
>ご丁寧にその住所も載ってる。
>見ても仕方ないだろうけど、一応送り返した。

>テキストエディタ。
>これに関しては推測でしか言えない。前回のと同じだ。
>誰かが誰かに宛てた手紙。メールのコピー。
>おまえだって推理ドラマを見ながら、推理したことくらいあるだろう。
>そんな程度の説得力しかないけど
>嬢様は近いうちにインドへ旅行の予定。場所はデリー。
>もし嬢様が1週間近く消えることがあったら、おれも名探偵の仲間入りってわけだ。
>以上。

>たぶんこれらは謎とかそんな複雑なことじゃなくて
>ファイル製作者はやるべきとこを当たりまえのように自然にやったんだ。
>覗き見してるおれたちが、よけいなことを考えすぎてしまった。
>美人の嬢様のせいで、なにか特別のことように扱っちまった。
>他になにかあれば送ってくれ。
>もう、そんなに難しいことじゃないと思う。

 


349 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 22:29
ぼくはときどき君が現実には存在しないんじゃないかと錯覚することがある。
君が話してくれた町も公園も絶対に訪れることのできない架空の地。
ほんとうにあるのかどうかもあやしい。
いまだってそうなのかもしれない。
ぼくは君のことは何も知らない。
名前さえ。
オタは間違いないと言ったけど、それは確認のプロセスでのことだ。
誰も君のほんとうの名を知りえない。
君はぼくのすぐ手の届くところで眠っている。
柔らかい前髪がおでこのとこでいっせいにカーブして
ちいさな背中へと流れる髪の本流へと消えてる。
それは見てとれる。
ぼくはそれに触れることができる。そうしようと思えば、いつでも。
でも君の額の中にある脳は、まったく違う夢を見てるのかもな。
それこそぼくが永遠に知ることのない、異国の地、
そこで過去に起きたいろんな出来事と悪夢。
なあ、姫様。
君が目覚めたらどこへ行こう。
今日も何も考えないで、はしゃいで飲もう。
君が望めばどこか遠くを目指してもいい。
ぼくじゃ役不足なのは承知してるけど
それでも君が喜んでるとこがみたい。
君の笑ってる顔をしっかり覚えておきたいんだよ。

 


350 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/08(水) 23:04
オタからのメールにすべて目をとおして
ぼくはしばらく考えてから、もういちどオタにメールした。
貼付するファイルはない。
気まぐれかただの暇つぶしか
たいして重要じゃないことのために、ぼくらは大量の文字を使う。
ぼくとお前は友人なんだと、だからいいじゃないかと、
迷惑このうえないくだらない2バイトの羅列を突然送りつける。
オタは、たいていレスをくれた。
それがどんなくだらない内容でも。
そんな仲でも、1年に数えるくらいは、おたがい真面目で相手を思いやるメールが
届いたり届けられたりした。
これもそうなのだと思う。そんなときはどうしてもメールしたくて仕方ない。

>なあ、オタ。
>姫様はリッチなのに、なんでおれと遊んでるんだろうな。
>そうすることになんの意味があるんだろう。

たぶん思考力がひどく落ちこんでたんだと思う。
オタも察してくれてたのか、いちもの罵詈雑言はくっついてこなかった。
しかも素早いレス。

>嬢様の名を使ったからって、それが彼女のものだとは限らないだろう?
>逆におれが触ったファイルのすべてが、彼女に関係したことなのかどうかも証明できない。
>嬢様は譲様だよ。
>おれから見れば、まあ、美人はすべて妖精みたなものだけどさ。
>そこにいるのに手に取ることはかなわん。
>実在しないのといっしょだ。
>しかしおまえから見ればまた事情も違うだろう。

似たようなものさ。ぼくもオタも。
ぼくはひとりごちた。

 

 

358 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/10(金) 00:33
昼過ぎに目覚めた。
姫様といっしょにベッドの上でまるまって
2匹の猫みたいに寄り添い、窓を通過して差しこんでくる暖かい陽射しにくるまって
いつまでもだらだら眠り続けた。
先に起きたのはぼくのほうだった。
ベッドからすべるように落ち、一回転して走ってトイレへ。それからシャワーを浴びた。
頭はすっきり爽快。バスタオルで濡れた頭をごしごししながら、姫様を揺り起こす。
そのとき頭のなかでカチっと音がした。
ぼくの脳にモードが変更されたようなあからさまな変化があって
自分でもあらがうことのできない強い衝動が、体中に沸き起こった。
ふつうの男がそうやるように、ぼくは姫様を求めた。
彼女はちょっと驚いたような顔をした。抵抗はなかった。
優しく抱きとめられた気がする。
そのあとはよく覚えてない。
姫様がバスルームに消えたあと
ぼくは彼女のために何かしてあげたいと真面目に考えはじめた。
ぼくにしかしてあげれないような特別な何か。
できればあまり大袈裟じゃないほうがいい。
彼女がそうとは気づかない程度の何か。

 

 

359 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/10(金) 00:34
姫様は例によってちょっとした用事のため渋谷に戻ると言い
ぼくはゆっくり食事してから、彼女の後を追った。
待ち合わせは東京駅。
あのあとぼくは彼女にこう提案した。
バスルームから出てきた彼女をつかまえ、髪を乾かすとか化粧とか
そんなことをはじめる前に、彼女にぼくの提案を聞いてもらった。
ぼくは君が昔いた公園は遠いのかと尋ねた。
つまり、弟と過ごした、君にとっては特別な意味のあるあの場所。
彼女は最初、あそこへ行くことになにか意味があるとは思えない
とかなにかそんな意味合いのことを言ったように記憶している。
でも、そのすぐあとで、ぼくの嘘のない真剣な表情を見てとると
ありがとう。と言った。
ほんとうは何度もひとりで行こうと考えた、と彼女は言った。
あそこを訪れるのが怖かった。と。
ヒロがよければ、ぜひ行きたい。
彼女は最後に、わたしをそこへ連れて行ってほしいと言った。
東京駅はひろい。
いつ来てもそう思う。
規模だけなら新宿駅のほうが上な気がするけど
東京駅はやけに広くて、大きい気がする。
遠いどこかとどこかを結ぶ、その拠点として考えてしまうからだろうか。
まあ、たしかに新宿駅で感傷的な気分になったりはしないよな。
せいぜい気をつけることだ。
そんな気分はあまりいい結果を生まないことを、ぼくは経験則から知っている。
思い起こしてみると、説明のつかない奇怪な行動や
思わず赤面しそうな言動の元凶になってる場合が多い。
そんなわけで、ぼくは早くも芽生えた感傷的な気分を頭から追い出して
姫様がやってくるのを待った。
急がないと。
あまりゆっくりしてられるほど時間が残ってなかった。
戻ってくるのは深夜になるかもしれない。

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